発表会の意義

発表会の練習をしている段階で、毎年色々な問題がある。
「みんなで作る発表会」をモットーに行っているのだが、
ひとりくらい抜けても平気みたいな感じに思っているご父兄が
いらっしゃることだ。
事前に相談されるならともかく、ひとりひとりの役割を
考えて楽譜を渡して練習している最中に、特に理由もなく「参加できません」と
一方的に紙に書かれてくるのには残念な気持ちで一杯になる。
組曲の一員だし、ハンドベル・アンサンブルでは2つのパートを受け持っているのだ。
抜けるという事は、誰かがその穴埋めをしなければならない事になり、
それは簡単な事ではないと解っていると思うのだが….。
ピアノが大流行だった時代があった。
クラスの大半の女の子がピアノを習っていた。
誰かに新しい楽譜を渡しただけで、それが焼きもちになったり、
妹が姉を追い越しそうになったりするのを懸念する親御さんがいたり。
競走ではないし、後で考えたらバカバカしい事なのに、
その時はその事しか頭になく、短絡的になって簡単にやめたりした。
仲の良い友達が頑張っている努力を認めず、また自分を卑下する事などないのに
励ます親御さんは少ないのかなと残念に思う。
子供に比べると、大人の生徒さんの進み方は比較的のんびりだけれど、
競走しているような生徒さんは1人もいない。
自身ができる事を精一杯に頑張っていらっしゃる。
投資しているのが本人であり、子供とは立場が違う点は大きい。
「動物の謝肉祭」のグループレッスンを初めて行ったが、
以前とはだいぶ様子が違う。ちょっとおとなし過ぎ。
まずはチームワークが良くなければ良い演奏はできない。
のりのりだった以前のチームの一員だった高校生もそれを指摘していた。
ひとりひとりが積極的に参加して欲しいと思う。

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