発表会の感想文

最後に届いた感想文

全ての生徒さんに感想文を書いてもらっていますが、一番最後に遅れて届いた感想文はレッスンやグループレッスンでのことも綴られています。ちょっと長いですが、本人の承諾を得たので掲載します。

発表会で学べること

発表会で学ぶことは、発表会当日の事だけではなく、発表会に向けての練習や、グループレッスンやリハーサルを通して、同じ目標に向けて練習している幅広い年齢の友人の演奏から学ぶことも多いです。一人で練習していては気づけないことでも、友人の演奏を聴いたり見たりすることで、はっと思う事もあります。自分の目標としては、ピアノ演奏をもっと自由に楽しみたい、いろいろな曲を自分で演奏したい、弾くことで曲の良さをもっと深く味わいたい、自分ならではの表現をしてみたい、と思っています。その為にも発表会は良い機会を与えてくれていると感じています。

今回特に感じ、練習の時に意識したのは、「指で弾かないで、頭で弾く」ということです。「頭」というと固い感じがしますが、「イメージ」という意味です。実は私は意識して「暗譜」をしたことが無く、いつも自然に覚えてしまうのですが、今回のショパンの曲はそれほど複雑なものではないのに、なぜか覚えられませんでした。「何故だろう?」と考えると、どうやら私は何度も繰り返し練習することで自然と弾けるようになる、つまり指の記憶で弾いているのではないか?ということに気づきました。これはレッスンでも指摘されていたので、改めて先生の指摘の意味に気づいたと言った方が良いでしょうか。

楽譜(というより、曲そのもの)が頭に入って、その頭の中の楽譜を演奏しているのではなく、指が覚えるまで何度も楽譜を見て練習を繰り返し、覚えてしまったら、あとは指任せの演奏になってしまっていたところが多いように思います。レッスンで「楽譜を見なさい」と言われますが、これは楽譜を見ながらミスのない演奏になるように何度も練習を繰り返して指に覚えさせなさいという意味ではなく、楽譜から音楽を感じて練習(演奏)することで、自分の中にその音楽を取り込みなさいという意味なのだと気づきました。 この発想の転換は練習をとても楽しいものに変えました。ミスが無いように同じことを何度も繰り返す練習はとても辛いですが、本を読むように、楽譜を通して音楽を感じ、そしてそれを表現するという練習は本当に楽しいし、その曲の意味がわかったり、新しい発見をする喜びにも出会えます。

ふと、みんなはどうしているのかな?と思って、グループレッスンなどで注意してみてみると、私と同じようなことで大変な思いをしている人と、自然にできてしまっている人がいるように思いました。私が発見したその違いは、演奏中に次の音の準備ができているかどうかです。頭の中に曲がある人は、音を弾く時には、既にその鍵盤に指が乗っています。どんなに速いパッセージでも、ちゃんと鍵盤に指が乗っていて、弾くときはその指を下に動かすだけですから、とても楽に、簡単に弾いているように見えます。これはプロの演奏でも感じる事です。そのためには、前の音を弾いた後に、いつまでもそこに指がとどまらずにスムーズに次の音に指が移動していることからもわかります。 おそらく、曲が頭のなかにあって、次の音がイメージできているから、自然と、あるいは意識的に指が次の音の準備をしているのだと思います。

一方、まだ私もそういうところがたくさん残っていますが、指の記憶で弾いている時は、音を弾く直前に指がその鍵盤に移動しているように見えます。指が音を追っかけているような感じがしますので、バタバタとあわただしく、大変そうに見えます。 シンプルでゆっくり目の曲では、この違いはあまり本人には感じないので、レッスンで指摘されても、その意味がわからなかったのですが、演奏する曲が深いものになってくるにつれ、曲の表現や「音」にその違いが出てきますし、なにより、今回思ったのは、練習の大変さ、辛さがまったく違ってくるという事でした。

意識して、「指に覚えこませるのではなく、曲を楽しむように練習すること」で、ピアノの練習がより楽しくなると思います。今回の発表会ではそれを学びました。今、毎日の練習がとても楽しく、気のせいか練習の効率もあがったように感じます。

2019年9月  H.N

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