カザルスホールの想い出

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レッスン休みだったので、濃いドルチェグストを選んだ。仕上げに牛乳を入れるのがお気に入り。至福のひと時。

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珈琲を飲みながら、深沢亮子さんのピアノ・リサイタルを聴いた。子供の頃「ピアノの日記」という本を読んだ記憶がある。生演奏は聴いたことがない。今日は中学生の時に夢中になって弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタK.330が聴けて嬉しかった。冒頭のインタビューで、両親に教わってピアノを習った事。親戚などが集まった時にホームコンサートをした事。ピアノはお友だちのような存在で、どんな事があっても慰めてくれるし、勇気を与えてくれ、生きる糧になる存在だと。だからピアノをやらなくちゃならないと思ったことはないのだと。何だかね、涙が出た。

同じような事を昨日、生徒さんに言った。しかし、ピアノはやらなくちゃならないという思いがプレッシャーになると。そして、癒やされた事など一度もないと、そう言ったのだ。本当だとしたら、とても悲しく残念な事だ。もしかすると、辞めるために自分に言い聞かせているのかとも思った。後者であって欲しいと思う。

舘野 泉氏が、よくおっしゃっていたのは「ピアノを弾くことは、呼吸しているようなもの」。やはり両親が音楽家だった事もあり、いつも家の中には音楽で満たされていたそう。

私の両親は音楽家ではないし、ピアノの演奏で悩む事は多々あるけれど、ピアノは無くてはならない存在だと思う。もしもピアノが弾けなくなったらと思うと、絶望的な気持ちになると思うし、怖いと思う。

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午後6時に「ご飯を炊く係」のはじめさんが忘れて午後7時10分に炊いた。炊きあがるまでワインを飲みながら、ふと「カザルスホール」の話しになった。カザルスホールは一度は行ってみたい憧れのホールだった。それが若い時に実現した。はじめさんのギャランで埼玉の飯能から新宿を通ってお茶の水にあるカザルスホールを目指した。あんなに人と車の多い所を通ったのは初めてで驚いた!それにしても、東京に行く時にカザルスホールでの演奏会を調べてチケットを取ったものだと、その行動力にも我ながら驚く。プログラムはオール・モーツァルトだった。しかも限りなく当時のピアノに近い古楽器での演奏。だから鍵盤が少ない。これだけの運動場で、あれだけの音楽を作れてしまうモーツァルトに改めて敬意を払った。

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そんな事を話しながら、ようやく「鮭とエノキの炊き込みご飯」が炊きあがった。キラキラ輝いているように見えるご飯を見てなのか、はじめさんは「綺麗なシャンデリアがあったのを覚えている」と話した。若い時にカザルスホールで演奏会を聴けた事は、とても良い経験となった。やっぱり私にとって音楽は、ピアノは無くてはならないものだと思う。

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