やるせなく哀しい響き

「うらぶれた」という言葉は自分は使わない

昨夜は札幌のホテルに泊まり、今朝は東京本社へ行ったはじめさん。いつものラウンジの写真が送られてきた。ニュースを観ると、東京もこちらと2℃しか違わない。

午前中に近くの八百屋さん2軒に行った。一軒は明日で店じまい。売り尽くしセールみたいになっていて、パクチーを買ったら更に2袋サービスだったり、カボチャを3玉とかで買ったより凄いことになった。もう1軒では霜が降りたら困るから球根ベコニアを5鉢全部引き取って欲しいといわれ、お言葉に甘えてフリードに乗せてきました。

我が家も外にあるお花(全部ではない)を家の中に入れないと。温室でもあれば良いのですが、そんなのはありません。長い冬を超えるのは人間も大変ですが、植物も一緒ですね。写真は、サービスの人のような大根と人参。

明るいリビングで本を読んでいると、図書館から頼まれていた本が実は当館にありましたとの連絡を受けて、読み終えた本を3冊持って出掛けた。それにしても、やたらと「うらぶれた」と「ろくでもない」の2つの言葉が多く登場する本を読み終えて、なんだか妙な気分でした。

そういえば、教室で取り上げたコーラス「虹」も変わった歌詞でしたが、「うらぶれた言葉遠い空を探した」というパッセージをふと思い出しました。哲学的ですよね。

最近購入したコルトー版のシューベルトのスコア。作品90&142ですが、残念なことに2曲ずつしか掲載されていません。練習は左のウィーン原典版を使っています。

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