昨日、「地獄坂」の事を母に尋ねてみると、やはり覚えていた。
逆に「雪の日、車で行ったけれど、スリップして登れなかった事を覚えているかい?」と
聞かれた。全然、覚えていない。
小樽に住んでいる人は冬は本当に大変だと思う。
お客が行きたい急な坂を登れないタクシー。酔った客が怒り出すという。
パンプスのヒールで雪を刺しながら坂を降りるのだというピアノ講師の話。
一旦滑ったら止まらず、膝が血だらけになったという。
祖父母の家のそばに伊藤 聖が通った小樽商科大学があったという。
商業高校は、もう少し坂の下の方だったのかな?
それにしても、祖父母は岩内町に居た時は「ガベ坂」と呼ばれている辺りに
住んでいたというし、坂に縁があるなぁと思った。その「ガベ坂」の事は
全く覚えていない。幼稚園にあがる前の事だった。
はじめさんが「北海道」をどうイメージしていたのか、後で聞いた話。
一家に一頭、牛を飼っていて、家と家の間がもの凄く離れている。という
凄い思い込みに、思わず吹き出してしまった。
当時、はじめさんが住んでいた埼玉の飯能という所は、余市よりもかなり
田舎で、あのセブンイレブンが23時に終わるという健全!?な所だったのだ。
買い物に行くのは命がけ。遠く離れた「イナゲヤ」に恐ろしく高くて、それでいて
きっと生では食べられないだろう「マグロ」を買って、ツナにすると「刺身でも食べられるのに….」と泣きそうになっていた事を懐かしく思う。
内地は道が狭くて、とても暮らせないと思った。
ピアノを教えるにも、まずピアノを置けるのか?
練習できるのか?60人の生徒さんをどうするのか?とても悩んだ。
その人が思っていない全く別の生活をする。人生とは不思議なものだ。
はじめさんは少々後悔していると言っているが、私には満足しているように思う。











